水は流れている、つながっている1
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「見沼代用水土地改良区」と「見沼管理所」訪問けせしめがりず見沼代用水路は、江戸時代中頃の八代将軍吉宗に紀州(和歌山県)から呼び出された井沢弥や惣そ兵べ衛え為た永ながつくった、利根川と江戸を結ぶ大用水路です。水源からその水を利用する土地まで直接水を引くやり方は「紀州流」と呼ばれ、井沢弥惣兵衛は「近代土木の祖」と言われています。埼玉東部の地形はほとんど平らで、そういう土地の測量はとてもむずかしいそうですが、「水み盛も器き」という道具で精度の高い測量をし、工事区間をいくつも分け、各工区同時に進めて、わずか六ヶ月で完成させました。また全工区の約四分の一を元々あった星川を利用して共用区間にしたことも、工事期間の短縮に役立ったと思います。その星川と分かれるところが、菖蒲町の見沼管理所にある「十六間堰」と「八間堰」です。十六間堰は星川用で、八間堰は見沼代用水用です。八間堰から見沼田んぼまでは、元荒川や綾瀬川と交差する箇所があり、元荒川を横切るために「伏ふ越こ」という技術で下をくぐらせ、綾瀬川を横切るためには「掛か渡ど井い」という技術で上を渡らせました。十六間堰と八間堰にはゲートがあって、用水が必要なときは十六間堰を閉じ、八間堰を開けて「見沼田んぼ」に送り、用水が不要なときや洪水のときは八間堰を閉じ、十六間堰を開けて星川に流します。僕の住んでいる所が大雨でも浸水しないですんでいるのは、このようにいろいろなところで、いろいろな人に助けられているお陰と知りました。こんな道具で「水盛(測量)」したのに正確19見沼代用水路の概略図水盛器で測量

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